
魔女信仰』といった論文を無駄に読んだわけではなく、近年にいたるまで農民や盗賊のあいだで、恐ろしい集会や乱行をおこなう秘密組織が確かに生きながらえていたこと、それがアーリア語族の世界誕生に先立つさまざまな暗澹《あんたん》たる信仰から発し、黒《くろ》弥撒《ミサ》とか魔女の魔宴とかいった世間によく知られる伝説にその姿をとどめていることを知っていた。アルタイ=アジア系の魔術と豊穣信仰の地獄めいた名残が、現在では完全に死にたえてしまったなど、マロウンは瞬時とて想像することもできず、そうしたものの一部が実際のところ、伝承される話の最悪のものにもまして、どれほど古いものか、またどれほど凶まがしいものかと思うことがしばしばだった。
マロウンがレッド・フックの問題の核心にせまったのは、ロバート・サイダムの事件がきっかけだった。サイダムは古いオランダの家系に属する博学の隠者で、そもそもはかろうじて自立できるだけの財産をもち、広くはあるが老朽の一途をたどる屋敷に暮していたが、この屋敷は祖父がフラットブッシュに建てたもので、当時はその村も、オランダ人の墓が並ぶ鉄柵に囲まれた墓地を有し、尖塔《せんとう》が高くそびえ蔦《つた》のからむ改革派教会を中心に、わずかばかりの植民地時代様式の家屋が建っているだけのものにすぎなかった。マーテンス・ストリートからひっこんだところ、古木の立ち並ぶ地所の只中にある、このわびしい屋敷で、サイダムは六十年間にわたって読書と思索にふけりつづけ、ただ一度の例外として、およそ三十年まえに船で旧世界にむかい、そのまま八年間行方をくらましていた時期があったという。召使を雇う余裕はなく、まったくの一人暮しをつづける屋敷には、
浸會大學BBAほとんど訪問客を入れようともせず、親密な交友というものは避けて、わずかばかりの知りあいは、手入れもゆきとどいた一階の三つの部屋の一つに迎えいれた――そこは天井の高い広びろとした書斎で、どことなく不快感を与える、古風で重苦しい見かけのひどく痛んだ書物が、壁という壁を埋めつくしていた。町が発展しつづけ最後にブルックリンに合併されたことも、サイダムはまったく意にかいさず、いつしかこの男のことは街でしだいに忘れ去られるようになった。年輩の住民は通りを歩くサイダムの姿をあいかわらず認めはしたが、新しく街に住むようになった者たちの大半にとって、サイダムは肥満した風変わりな老人にすぎず、白髪を乱れさせ、無精髭《ぶしょうひげ》をたくわえ、てらてらした黒い服に身をつつみ、金の握りのステッキをもつその姿に、好奇の目をむけるだけのことだった。マロウンは事件を担当させられるまで、サイダムの風貌こそ知らなかったが、中世の邪教について実に造詣《ぞうけい》の深い権威として間接的に名前だけは耳にしていて、一度などは友人が記憶を甦らせて口にした、カッバーラーとファウストゥス伝説にかかわるサイダムの絶版になった小冊子を、一つ探してみようかという気になったこともあった。
サイダムが一つの「事件」になったのは、親戚《しんせき》といっても遠縁にあたる者たちが、サイダムの精神状態について、その決定を裁判所に求めたときのことだった。この訴訟は世間には唐突なものに思えたが、実際には長期間にわたる観察と痛ましい熟慮の後にくわだてられたものだった。その根拠となったのは、サイダムの話しぶりや習癖に妙な変化があらわれたことで、驚嘆すべきことが間近にせまっているとあられもないことを口走ったり、不可解にもブルックリンのいかがわしい地域によく足をのばしたりしていたらしい。年を経るにつれ、ますます身なりはみすぼらしいものになっていき、あげくには本物の乞食さながらにうろつきまわり、尾羽うちからした友人たちにときおり地下鉄の駅で見かけられることもあれば、区役所のベンチに腰をおろして、色浅黒く人相の悪い一団の他所者《よそもの》
浸大BBA