わたしたちのい

わたしたちのい
つづけた窓にその人の顔が焼きつくとかいったことに、ジョウエル・マントンが半ば執着していることを知っていたからだ。そこでわたしは、田舎の老婆たちが声を潜めて告げるこうした話を信じるということは、霊的なものがその肉体の死後、肉体とは別個にこの世に存在するのを信じこんでいることにほかならないのではないかと主張した。これは通常の概念をことごとく超越する現象を信じられる能力を示すものといえるだろう。なぜなら、死んだ者が目に見える姿や、さわることのできる姿を、地球の半分の距離や長の歳月をこえて送れるものなら、無人の家屋が知覚力のある奇妙な存在にみちあふれ、古びた墓地に幾世代にもわたる恐ろしい無形の知性がひしめいていると思うことが、どうして莫迦げたことだといえるのか。そして霊魂は、そのしわざとされる顕現のすべてをおこなうためには、あらゆる物質の法則に制限されるわけもないのだから、霊的に生きている死者が、それを見る人間にとってまったく慄然《りつぜん》たる「名状しがたいもの」にちがいない形――あるいは形の欠如――をしていると想像することが、何故に埒《らち》もないことだといえるのか。わたしはいささか熱をこめて、こうしたことを考えるにあたって「常識」をもちだすのは、単に想像力や精神の柔軟さが愚かしくも欠如しているからだと、友人にきっぱりいいきったものだ。
 いまや夕闇《ゆうやみ》がせまっていたが、わたしたちのいずれも話をやめる気持はなかった。マントンはといえば、わたしの主張にも動じる気配はないらしく、明らかに教師として成功するにいたった持論に自信をみなぎらせ、わたしの論点をやりこめたがっており、わたしはといえば自分の立脚点に確信をもち、敗北を気づかうまでもなかった收細毛孔。夕闇がたれこめ、遠くの窓のいくつかに灯りがほのかに輝くようになったが、わたしたちは動かなかった。わたしたちが腰をおろしている墓石は坐り心地がよかったし、すぐ背後で古ぶるしい墓の煉瓦造りが根に蹂躙されてぽっかり穴を開けていることや、街灯のともる一番近い通りが崩れかけた十七世紀の無人の廃屋にさえぎられ、るところがまったくの闇につつまれていることを、わが凡庸な友人が気にすることもなかった。かくしてわたしたちは闇のなか、廃屋のそばにあるぽっかり穴の開いた墓の上に腰を懷孕前準備おろし、「名状しがたいもの」について話をつづけ、わが友人がわたしの意見を鼻であしらうのをおえるや、わたしは友人が最もあざけったわたし自身の小説の背後にある、悍《おぞ》ましい証拠を口にした。
 わたしが書いたその物語は「屋根裏の窓」という標題で、『ウィスパーズ』の一九二二年一月号に掲載されたものだった。多くの土地、とりわけ南部や太平洋岸で鍛練肌肉は、愚かな腰抜けどもが苦情を申しでたため雑誌売場からとりのけられてしまったが、ニューイングランドの住民は戦慄《せんりつ》をおぼえることもなく、話の途方もなさにただ肩をすくめるだけにおわった。まずもって、そんなものは生物学的にありえないと断言され、コットン・マザーが真にうけて、混乱した『アメリカにおけるキリストの大いなる御業』にやたら詰めこんだたぐいの、地方の血迷った流言の一つにすぎず、信憑性《しんぴょうせい》


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